SHARE

  • Facebook

2017.09.30

by

コラム

「美しい」=「正しい」

世の中、美しいものも醜いものもたくさんある。

では、我々人間は何を美しいとして、何を醜いと感じるのだろうか。

その一つの答えとして、人間は「正しい」ものに「美しい」と感じる、というものがあると思う。

「正しい」ものは「美しい」し、「美しい」ということは「正しい」のだ。

逆に「正しくない」ものは「醜い」。

何に対しての正しさかというと、「自然の摂理」のようなこの世の本質的な法則に対してだと思う。

「美しさ」と「正しさ」は完全な相関関係にある。

動物や自然をみればそれは明らかだ。

強い個体は決まって美しい。種を繁栄させ、自分のDNAを残すための法則に対して、より答えとして正しい機能美を持っている。

人間の邪魔が入らない、ありのままの山や海は美しい。正しく自然の摂理に則って繁栄している。江ノ島と石垣島の海を見比べれば、どちらが正しい姿で美しいかは考えるまでもなく誰もが感じ取ることができる。

自然の中にはもちろん人間も含まれる。

美しい肉体は正しい肉体だ。

男性がボンキュボンに女性としての美しさを感じるのは、くびれは妊娠をしていない証拠、胸は子どもに対して栄養を与える能力がある証拠、広い骨盤は安産できる証拠になり、それは自分の子孫を繁栄させるパートナーとして適切であるという、正しさの証明になるからだ。

女性が体が大きく適切な筋肉がついている男性に美しさを感じるのは、それも共に子どもを育てるに当たっての男性としての能力を適切に持っていて、自分のDNAを一緒に残す相手としてふさわしいということの証明になるからだ。

人間の顔も経験によって変わる。美しくなるかも醜くなるかも経験次第だ。

自然の中の人間の摂理として正しいことをしていれば美しくなるし、それに逆らっていれば醜くなる。

必要な栄養を過不足なく摂っていれば自然と美しくなるし、無駄なものを食べたり、逆に食べ過ぎないと醜くなる。

生命の維持のための健康に対しての向き合い方の正しさが、美しさに反映される。

食事のように物理的な経験だけが美しさに反映されるわけではない。

正しい心構えで正しい行為を続ける人間は自然と美しくなる(美しいと感じられるようになる)し、摂理に対して間違った行為を続ける人間は醜いと捉えられるようになっていく。

また、美しさを感じる対象は外見的なものだけでない。人間は行為や事象に美しさを見出す。

人間として正しい行為に人は美しさを見出し感動する。

正しいビジネスのビジネスモデルには美しさすら感じる。

ものもそうだ。

正しいインターフェースは美しい。

美しさを装って間違ったものを正しいものに見せようとする努力が世の中には溢れているが、人間はセンサーとしては誰しもが優秀で、たとえ自分では生み出せなくても、人が生み出したものに対する目は敏感だ。

美しさは正しさの証明だ。

問題は自然の摂理とは、人間の摂理とは何かということである。

何が正しくて何が間違っているかということを個人の中で突き詰めることが美しさの追求に繋がる。

人間が美しいと感じるものに共通性があるのだから、摂理の正しさにも共通性があるはずだ。

COMMENTS

RELATED

関連記事

RELATED

関連記事