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2016.07.8

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仕事

ブランド「SGTK」「LIF.」発足から解散まで

俺は「SGTK」と「LIF.」というブランドにメンバーとして携わっていた。

以前ここ1年の金稼ぎと旅を振り返って想うことという記事にも書いた、大学在学中に自分で仕事をするとはどういうことかを知るためにした行動のうちのひとつ。

 

SGTK

あるきっかけでSGTKのメンバーからwebを作ってもらえないかと頼まれた。俺は「web作る代わりに俺もメンバーに入れてや」という条件を提示した。まだ出来たてのブランドで資金もあまりないことがわかっていたし、何より面白そうだと思ったからだ。

メンバーに顔合わせをし、意気投合した俺らは、早速web制作に取り掛かった。新作の商品制作、素材用の写真撮影、コンテンツ制作、営業などのブランド活動と同時並行で、各々の役割分担の明確化やビジョンの統一なども行った。どんなチーム作業でも、大抵こういう最初の期間は気分はウキウキ。

そして、完成したwebサイトがこちら。(SGTKは解散して無くなったが、サイトは今もある。)

今見ると直したくなるところばかりけど、当時なりに努力して皆で作り上げた。

メンバーの大半は当時ダンサーだった。特にプロダンサーのJENESがメンバーにいたので、ティシャツや衣装をよく作る大学生ダンサーとの繋がりは強かった。商品制作の経験を積んで得た服作りのノウハウを活かして、オリジナル商品を作りたいという人達からの受託制作も行った。

学祭シーズンなどはかなり忙しくなり、次第に売り上げも増えていった。俺らは金銭面に関しては特に意識していた。金に囚われると、本質から外れていってしまうし、欲が衝突してトラブルが起きやすい。

しかし、人間どうしても金の魔力には弱い。事業自体はうまくいっているようにもみえたがビジネスの規模が大きくなるにつれて内側で様々な問題も起こり始めた。他活動で忙しくなったメンバーが去っていくなどして、最終的には3人が残ったが、金とコミュニケーションに関する価値観の違いが露呈し分裂が起きた。人は意地を張ると、相手へのリスペクトがなくなる。これ以上共に活動するのは無理だと判断し、SGTKは解散した。

bananas

ただ、解散はしたものの全員服作りがやめたかったわけではない。1人はずっと憧れていたストリートブランドに新入りとしてジョインし、残った俺とプロダンサーのJENESは2人で新たなブランドを立ち上げた。

 

LIF.

下北沢の串揚げ屋でミーティングをして、新たなブランドの名前は「LIF.」に決定した。

lif

俺は「Let It Flow.」という言葉を気に入っている。

その話をJENESにして、最終的に「Let It Flow.」を略して「LIF.」。

元々ブランドとしての活動の流れは悪かったわけではない。俺らはガンガン加速してオリジナル制作の衣装の受託を受けた。俺らの強みは、少数先鋭で無駄なく一人一人がスキルを発揮できることだった。その分コストも減らせるので、デザイン制作を無料で行うなどのサービスも行った。俺が印刷やデザイン制作などのクリエイティブを担当し、営業力と統括力があるJENESが工場や取引先とのコミュニケーション等ブランド全体のマネージメントを担当した。

売り上げや取引件数などは悪くなかったが、各々のブランド外での活動もありLIF.に集中しきれず、問題も数多く生じた。

まず、安く売りすぎた。商品価格の設定はとても難しい。「これはこの値段です。」って自信を持って相手に提示するには、自分の仕事(スキル)と商品(アウトプット)の価値をちゃんと見定めなければいけない。高くすればいいものでもないし、安くすればいいものでもない。自分の今の値段は?顧客の経済力は?いろんなことに関して数字で考えていかないといけない。LIF.はその点が甘かった。自分たち(労働力と商品)を安く売りすぎたのだ。

ではなぜ安く売りすぎたのかというと、分析していろいろな原因を出すことはできるけど、結局は「自分に自信を持てなかったから」ということに尽きるなと俺は最近振り返っていて思う。「俺の時給はこのくらいかな」「相手はこれくらいの値段なら嬉しいかな」そんなことをグダグダ考えていた結果、価格が安くなったのだ。要するにビビっていた。

そして、その状態はストレスだった。もちろん強く自分を持とうとは常にしていたが、自信っていうのは持とうと思って持てるものではない。ビビりながら働いて、自分を安く売って、見返りも安くなって、やっていることへのモチベーションも安くなる。そんな感じだったかもしれない。まぁ俺はその当時その程度だったということだ。

s_mjd

もちろん、それらの経験を次に活かすために、改善方法なども話し合っていたのだが、心のどこかでは「このままこれに追われるのはなんか違う」という思いが、お互いに芽生え始めていた。

当時のブランドの相方JENESについてはまた今度紹介するとして、とにかく、俺もフランスに行くことを決めていたし、JENESもダンサーとしての修行に専念したいという思いがあった。

2016年2月、鎌倉の砂浜で焚き火をしながらそれぞれの道について話し合い、再出発のために俺らはLIF.を解散した。

 

……

 

こうして俺は服作りを一旦止めたわけだけど、またそのうち俺なりに始めたいと思っている。

SGTKとLIF.を通して学んだことは多く、服作りの可能性を感じた。

もちろんだが服そのものは自己表現だし、服作りもまた一つの自己表現方法だ。

何より、Tシャツ作りは普通に楽しい。

 

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