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2017.06.18

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コラム

俺の場合、都会ではクリエイティビティが死ぬ

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インスピレーションや根源的な気づきみたいなものは結局、自然(地球、もっと言えば宇宙)から来る。

もちろん人間も自然の一部だし、それ(人間)が生み出す人工物からもインスピレーションはもらえる。人工物もいってしまえば自然の一部だ。

制作者というフィルターを通して描かれるなんらかのアウトプット(作品、表現、行為)には、その人間の解釈や個性などが詰まっていて、観測者は同じ人間として共感したり、共鳴したり、もしくは反発したりする。

どちらかというと「都会」という人間のアウトプットに対して俺は反発してしまう人間だ。

現代社会の全てが嫌いなわけではないし、むしろ好きなことの方が多いけど、「都会」には時代のねじれから湧いて出た吹き出物みたいなものが多いように感じる。

日本の都心は長いこと滞在する場所としては、(少なくとも今は)どうしても好きになれない。

まず人が多すぎる。

しかも他の地域と比較して、輝きやオーラみたいなものを失った人間が多い。

イケダハヤト風に言えば、都会に消耗され尽くした人間が多い。

街の作りは、増えすぎた(集中しすぎた)人口に合わせて後付けで付け足されていったガチャガチャなものな感じがする。

またいろんな社会的事情に巻き込まれる。

そういった事情のことを考えていると、例えば夢や人生や魂や人間関係といった、抽象的で、大きくて、大切なことを考えるキャパシティがなくなることはもちろん、根本から考え方を変えられる。

つまり、極端な話、そんなことについて考えるのは馬鹿馬鹿しいという思考になってくる。何でもかんでもそういうものを「スピリチュアル」や「シュウキョウ」や「オカルト」という言葉で軽蔑するような思考に寄ってくる。

どんなに時代が変わろうとも人間が生物として変わらないものがあるのに、だ。

「そんなことを考えているのは子どもまでだ。もっと事情に揉まれろよ。」というような同調圧力が働き、人間が元来持つクリエイティビティは忙殺されていく。

(別にそんなん考えなくたってお金があって好きな物質を購入することさえ出来ればそれでいい、みたいな考えで幸せに生きているならそれはそれで素晴らしいと思う。ただ、本質的なことを無視して幸せになれてる人を俺は見たことがない。)

人が多いところはダメとかではない。

人が多いからこそ良い人もたくさんいる。悪い人もたくさんいる。

どの層に住むかで見方も味方も変わる。見方が変わるということは主観的な世界が変わる。

だからどう生きるかは結局自分の在り方次第だし、都会が性に合う人もたくさんいると思う。

ただ、今の俺の生き方には都会での定住は必要ないというだけだ。

2017年6月現在、今の自分には何が必要か。

20169月から滞在していたオーストラリアでの最終地点はシドニーだった。最後の1ヶ月はシドニーで過ごしていたが、着いて早々「ここには居られねぇかもしれない」と思った。これはシドニーがクソな街だとかいう意味ではない。見方によっては魅力的な街ではあったが、その時の俺にとっては必要のない環境だったということだ。

必要のないものは大切なものを埋もれさせて見え辛くさせる。

そんな考えでここ数年俺は生きていて、例えば去年一年はほぼリュックひとつに収まる物資で生きてきた。

色々なタイミングが重なって、シドニーを最後に放浪の1年が終わりを告げ、20174月頃からは、神奈川にある実家と東京にある祖父母の家や友人の家を拠点に2ヶ月ほど生活していた。

この生活がその時の自分には必要だったからだ。なぜ必要だったかというと大切だからだ。

大切なものはたくさんあるが、その大半を占めるのは大切な人だ。

やはり地元神奈川東京らへんには小さい頃から今にかけて出会った友人などがたくさんいる。そういった人たちと会う必要性を感じたタイミングだった。2ヶ月の間に合計100人以上の人と会った。(ちゃんと数えてはないけど)

そして20176月、地元らへんにいる必要性よりも、石垣島に行く必要性が上回った。

石垣は1度学生の頃訪れていて、その時「ここいいな、いつか住むかも、ってか住むわ」って言っていたし、実際に住み始めた。

611日に石垣に着いて1週間が経った。

ここには今の自分にとって必要な(と思える)ものがある。

直近の成果や中期的な目標(ミクロな目標)はあくまで、長期的な目標(マクロな目標)や人生の幸せを追求するための手段だと思っている。ミクロなことにマクロを忙殺されてしまっては本末転倒だ。もちろんマクロのためにミクロを犠牲にするつもりもない。人生はプロセスであり、あるのは今この瞬間だけだからだ。

長期的な目標、つまり言い換えれば、「夢」や自分の人生の指針を見つけることは容易いことではない。自分のことを知るのは容易いことじゃないからだ。

その事実に気付かされるのは「自分は自分の人生を生きなければならない」ということに直面した時だ。

だから、自分の人生を生きることに対して無頓着だった人間はそういう局面(例えばシュウカツ)に立たされた時に路頭に迷う。

迷った挙句、見つけることを諦めた人間は他人の人生を生きたまま死にゆくのかもしれない。

なにが大切で、なにが必要かということは、結局自分にしか分からない。

そこは譲っちゃいけない。自分のプライドとはなんだろうか。

かと言ってデカイところばかり見て、足元がお座なりになってもいけない。

明るい未来に向かって自分の人生を創っていくのは、身の回り半径5mの日々の生活だ。

しっかり地に足つけて、上を向いて歩こう。

人間誰しもが持っている創造性を発揮したい。理想的な現実を創りたい。

COMMENTS

  1. […] 前回の記事【俺の場合、都会ではクリエィティビティが死ぬ】にも書いたように、自然に近い方がクリエイティブになれる気がするし、生きてる心地がする。思考が純粋に活性化するのも人工物に囲まれている時よりも自然に囲まれている時だ。 […]

  2. miki より:

    先日は茅ヶ崎まで来てくれてありがとう! 石垣島楽しんでそうで何よりです◎ 相馬くんは来週NWを去ってしまうけど、また神奈川に来た時は飲みにいきましょう! ハブに噛まれないように〜w

    • TERRY TERRY より:

      mikiさん、こちらこそありがとうございました!お会いできて、お話できて、めちゃくちゃ楽しかったです!たくさん刺激もいただきました。一旦散り散りになりますが、また集合して是非飲みましょう!ハブなんてとっ捕まえて食ってやります!!笑

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