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2017.12.8

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コラム

自分は奴隷なのか?「現代の奴隷」って何?

new_slaves

Kanye Westは今みんな”ニュースレイブ”(new slaves)だって言ってる。

日本でも「会社員は現代の奴隷」だとか言われている。本当にそうなのか?

 

確かに身分というものは確実に存在するなと思う。

例えば、俺はまだ学生を卒業してから数年しか経っていない新米社会人のフリーランサーだということになると思う。社会的肩書きという共通言語でそれぞれの身分を理解し合うのは便利なシステムだ。広い社会に出れば出るほど、成熟した強い人間にたくさん会って、自分の身の程を知る。

そもそも肩書きなんてなくても、身分なんて自然発生する。

身分っていうのはカーストとかそういうことじゃなくて、どちらかというとライオンの群れの中のランクみたいな感覚に近い。良し悪しの話ではなく、人間も社会の中で常に自分相応の役割を担うことになる。現代社会の格差もその本質からは完璧には逃れられない。自分を生んだ親の身分なども影響するとはいえ、現代社会も結局のところ実力主義だ。自分相応の現実しか振ってこない。

「自分が今やってることのレベルがそれでいいのか」って自分で自分に問い続けることが大切だと思う。その問いへの答えは、人に出されるものではない。

 

意思があれば身分に関係なく奴隷じゃないと思う。漫画「キングダム」を最近読み始めたけど、社会の底辺からスタートする主人公のあいつはマインドが最初から奴隷じゃない。

逆に何が奴隷なのかっていうと、身分に関係なく、自分の意思がないままにただ他人のフローに流されてるだけの奴が奴隷なんだと思う。奴隷と呼ばれるような身分はどの時代にもあるけど、それは精神に貼られるレッテルだと思う。

確かに奴隷みたいな会社員はたくさんいるんだろう。一方で、そんなことを全く感じさせない会社員だっている。目的ではなくやりたいことをやるための手段としてサラリーマンになっている奴がたくさんいるのだから、「会社員は現代の奴隷だ」という考えは、ただの問題提起のためのプロパガンダみたいなものなのかもしれない。

 

「自分の実力相応のものしか返ってこないなら、自分をあげていくしかないよね」ってシンプルに突っ走れるか、あれこれ考えてずっと精神的に同じ場所に居続けるのかで人はかなり変わる。

個人的な話をすると、1年前の自分と比べて随分価値観が変わった。5年前の20歳の自分と比べたら実力もかなり変わった。となると、未来に逆算すると1年後の自分も20年後の自分もそうやって螺旋の中で変化していく。人生観も、死生観も、恋愛感も、金銭感覚も、稼ぐ力も、交友関係も、髪型も顔も常に変わっている。

誰だって、森羅万象諸行無常のこの世では、変化の原則からは逃れられない。

良い螺旋を描いているなら、歳をとっていくという過程は衰えではなく成熟だ。逆に原則に反して変化から逃れようとしても、それは無理な話で、その矛盾から人は萎えていく。きついと思う状況に追い込まれ、変化を迫られる。

情報が多くなった現代はあれこれ考えすぎる人が増えたのかもしれない。情報が増えたことによって見える世界が広がったのかというと案外そうでもなくて、むしろ見える世界が狭まったとも言えると思う。結局ほとんどの人は、誰かが見て欲しいと思って作った自分好みの情報しか見ない。狭い視野を通して見た特定の領域の情報の渦の中であれこれ考えている。

そもそもその”自分好み”さえ誰かの都合に合わせて整形されたものかもしれない。上の層が下の層を洗脳すると言うよりは、常に誰かが人に影響を与え、誰かが人に影響を与えられ、影響を与える側を上の層と言い、そして上の層にいた方が自分にとって都合のいい環境を作りやすい、ということだ。

しかし一方で、活かせているかは別として、下克上のチャンスは格段に増えた時代でもあると思う。下克上というと大げさかもしれないけど、下克上の成功というのは実力に見合った現実になったというだけの結果だから、簡単な話、下克上のチャンスが増えた時代というのは、よりシンプルな実力主義の時代ということだ。もっと言うと、より弱肉強食の時代になったということだ。

他人に作られた制約を取り払うチャンスが増えた時代、つまり自由な時代だ。

 

常に人間は不完全で、弱いし強い。

自分が強く在れるのか、それとも弱く在るのか、人間の場合それは身を置くシステムによって変わる。ならば自分が強く在れる、つまり個性に従って得意な分野で力を発揮できるようなシステムに身を置く方が当然良い。わざわざ自分に合っていないシステムで生き続ける必要はない。弱肉強食の時代とはいえ、自分が弱い肉なのか、それとも強い獣なのかは、自分はもちろん、環境次第ということだ。

喰うか喰われるかの自然界に比べて、人間社会はもっと複雑だ。

人間は不完全で、強くも弱くも在れるからこそ、補い合って共存できる生き物なんだと思う。

「みんな強い」ということが可能ということだ。

今、選択肢が増えた分、チャンスも増えている。

 

奴隷マインドで生きる必要はない。

COMMENTS

  1. アバター キタミ says:

    この記事、今までの中でダントツ好きだった。

    内容に共感することも、不安に感じることもあったけど、今の時代って〝自由〟の幅を広げれる、むしろ広げろよ!って言ってくれてるくらい変化のある時代なのかもね。
    私はまだ自分がトライしていきたい場所や環境が不明確な気がするけど、この記事読んで何となく心が整理された気がした٩( ᐛ )وイェィ

    • TERRY TERRY says:

      ありがとう。
      今自分で記事を読み返したらものすごく荒削りな擲り書きだったけど、何かを感じてもらえたのかー嬉しいな!
      俺もまだまだ不明確だよ。だって人間だもの。

      てりを

    • TERRY TERRY says:

      キタミのこのコメントのおかげで書くモチベーションがlv.35あがった

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