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2016.08.4

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コラム

「自分探しの旅」が馬鹿にされる風潮

どうも、テリーです。

諸問題もありつつ、オーストラリアの航空券とビザ取れそうです。

今日も一言。

image(散髪に右往左往したくないし、髭剃り友人に貸したら失くされるしで、毛がナチュラル仕上げ)

俺も流行りの「自分探しの旅」という言葉が嫌いだ。

でもこの言葉が表してる行為は好きだ。

しっくりくる自分で居られる環境を世界各地で味見しながら探す旅」と言い換えることもできるかもしれない。

「自分探しの旅」という言葉が流行って、影響を受けて実際に1人旅に出る人がいたり、言葉だけに反応して「自分探しの旅(笑)」みたいになってる人がいる。

もし言葉ではなく行為自体を馬鹿にしてる人がいるとしたら、たぶんその人は旅すらしたことない人だ。

自分探しだろうと他人探しだろうと、己の信念に基づいて旅に出ている奴を他者がとやかく言う必要はない。

世の中には「人を小馬鹿にする行為」が蔓延っている。(この辺の話は長くなるのでこの記事では割愛)

俺は父親にSkypeで自分がやっていることを説明して

「なに言ってるかよく分かんないけど、モラトリアムじゃねぇか(笑)」

と言われてムカついたことがある。

でも確かに、モラトリアム期にいるということもできるなと通話後思った。

自分を完全には分かってない以上、自分を分かろうとする努力はしている。

自分を理解しようとする行為が「自分探し」なんだとしたら自分探しはいいことだ。

企業に居ようが農家に居ようがホステルに居ようが、そこで自分と向き合っているなら「自分探しの旅」をしてるといえる。(旅をしてるかどうかは意識の問題だと思っている)

それを、モラトリアムというならモラトリアムなんだろう。

ポストモラトリアムだというならポストモラトリアムなんだろう。

(モラトリアムという言葉自体、背景によって色々な意味を持ち過ぎる)

でも自分の中で自分について考える際、言葉なんてどうだっていいんだわ。

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