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2017.05.19

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レビュー

映画「クラッシュ」衝突を通して描かれる人間社会のネットワーク

crash

概要&あらすじ

「クラッシュ」
2004年のアメリカ映画
第78回アカデミー賞作品賞受賞作品
原題: Crash
監督:ポール・ハギス

city

舞台は多種多様な人間が暮らす街、LA

家族、恋人、友人、同僚。人間同士は引き寄せ合い、実体はないが確実に存在する輪郭の中に人はコミュニティを形成し、そこに属す。しかし、様々な背景を持った人間が混在する社会の中では、人と人は必ずしも分かり合えるとは限らず、時にはぶつかる。クラッシュする。

金持ち、貧乏。白人、黒人、アジア人。警察官、看護師、テレビ演出家、ギャング、主婦。

様々な要素で切り分けられる人間同士がそれぞれの人生の一部となって交差する。

この映画には人間同士の関わり合いにおける根源的なことが描かれている。

・「人は人に優しくした時に愛を感じる」

・「人は自分相応の現実を創り出す」

・「人は他者との関わり抜きに存在しえない」

この映画を通して考えさせられたこのような3つのことをこの記事では書いていく。

 

人は人に優しくした時に愛を感じる

物語前半、この映画に描かれているのは主に「愛のない行動」だ。交差する登場人物たちが抱いているのは「苛立ち」や「不満」で、それらを互いにぶつけ合っている。だが、そういうネガティブなものをぶつけ合ったところで幸せになる人物は誰1人としていない。欲求が解消されることがあっても、心が満たされることはない。

物語中盤から後半にかけて、その人物なりの、その状況なりの形で、「他者の為の行動」が描かれる。

当然のことながら人は人に優しくされると嬉しい。喜びや愛を感じる。だが、それらを感じられるのは受け身の時だけではない。人は人に優しくした時に喜びや愛を感じるものでもあるのだ。

本当の優しさとは何か。それは言い換えれば無条件の愛みたいなもので、愛というのは相手を自分事化した時に生まれる。つまり簡単に言えば、「相手の幸せが自分の幸せという状態」になっている時に、そこには愛が存在する。子供の幸せこそが自分の幸せだという親の愛。被災者の幸せを生み出すことに幸せを感じるボランティアの愛。

この映画の印象的なシーンで、白人警察官が、以前屈辱を与えた黒人夫人を火だるまになった車から助け出す。この時に心が愛に揺さぶられたのは、助けられた黒人だけでなく、助けた白人もだった。

police

人間は本能的に自分の幸せは何の疑いもなく無条件に追求できる。だから、自己の幸せに他者の幸せが含まれた時、愛は無条件なのだ。愛に満ちた人間だと言われる人は、相手の幸せを願う対象が多く深い。

もしそこに相手と自分を切り分けた損得感情が入ると、行動も条件付きになり、利害が一致しない場合には互いに不幸になる。

他者は自分ではない。自分でないものの意思や行動は根源的には変えられない、人は他者をコントロールすることはできない。コンロールできるのは自分だけだ。喜びや愛に満ちた人生に舵を切れるのは自分だけなのだ。人に何かを期待し、愛が降ってくるのを待っていても仕方ない。ならば自分が動くしかない。

この映画に描かれる人間模様はそういった「能動的な愛の必要性」を主張しているかのようだった。

 

人は自分相応の現実を創り出す

自分の目の前にある現実は自分自身によって創られたものだ。

「良いことをすると良い人生になる、悪いことすると悪い人生になる」というような言葉ほどには人生はキッパリしているわけではないが、何かしらの法則に支えられているのは間違いない。

人間同士が交差すると思考や精神や心といったものすごく抽象的なものが絡み合うから、物理や数学ほどはっきりとはしていない。だが、完全にランダムに物事が起こっているわけでもない。結果と原因の因果関係が分からないことがこの世の中には沢山あるが、「こういうことをしたらこういうことになるよね」みたいなことは、人間は経験を通してある程度は分かってくる。

そういう人間模様が、この映画には凝縮されてリアルに描かれている。

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自分がした行いが、返ってくる。自分のコントール外のところからも返ってくる。誰と会うとか、何かが起こるとか、全て自分に返ってくる。

そうやって目の前の現実は創られていき、人生となって積み重なっていく。

この映画で何がリアルに描かれているかというと、そういう「自分がした行い」と「それに対して返ってくる量」みたいなバランスがリアルなのだ。

 

人は他者との関わり抜きに存在しえない

各々の人生があって、それらは人生同士が互いに絡みあって成立している。

そのような人間社会の本質的な部分を、この映画ではそれぞれの視点から描き出している。

人には自分相応の世界(場所や物や人などの環境)が目の前に現れる。自分の目の前に現れた相手視点で考えても、自分は相手にとって目の前に現れた人で、つまり各々が各々の人生の一部となっている。

そして人と人は完全なランダムで出会っているわけではなく、何かしらの理由があって出会っている。その理由が何かというのは一概に断定できるものではない。だからそこにあるのは主観的な意味づけで、それはそれぞれの視点によっても変わる。

他者の気持ちを完璧に理解することはできない。どんなに客観的に考えたとしても、どんなに相手の事情を汲み取ろうとしたとしても、自分というフィルターを通してから物事を考えることになる。自分というフィルターはそれぞれの経験や生まれ持った本能から成り立っていて、それが他者と完全に同化することはありえない。

だから、人は理解し合うことがないまま衝突し合うこともある。

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だけど、違うからこそお互いの心を埋め合えることもある。

そういう人間同士の関わり合いの様子が客観的に描かれたこの映画には「こいつとこいつは関わるべくして関わったんだ」ということを思わせてくる説得力がある。もし関わり合いがランダムなものだとしたらその説得力は生まれないはずだ。この映画からは人間同士が出会う理由みたいなものを感じさせられるのだ。

この映画が人間同士が出会う理由をどう描いているか。それもまたこの映画を観る人にとってそれぞれの解釈(意味づけ)がある。

 

そんなことを感じさせられる映画。

BGMやエンディングなどの音楽も映像やストーリーにばっちしハマっていて、観ているこっちの感情を激しく揺さぶってくる。

あらゆる人にオススメです。

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