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司馬遼太郎「竜馬がゆく」名言に学べ

日本の奇跡、坂本龍馬。

 

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動乱の幕末を彼の青春が駆け抜ける。そんな生涯を描き上げた司馬遼太郎の不朽の名作「竜馬がゆく」。読みながら何度も心が打たれたので、その言葉を備忘録がてらピックアップします。

 

第一流の人物というのは、少々、馬鹿にみえる。少々どころか、凡人の眼からみれば大馬鹿の間ぬけにみえるときがある。そのくせ、接する者になにか強い印象をのこす。

男子、よき友は拝跪(はいき)してでも求めねばならない。

学問も大事だが、知ってかつ実行するのが男子の道である。男子たるものは、自分の人生を一遍の詩にすることが大事だ。

男子は好悪のことはいうべきではない。

大器量の者でも、初陣はこうだったのだ。むしろ大器量であればあるほど、初陣のときの惑乱は激しいかと思われる。小勇小才の者は、物事のたかをくくり、要領よく立ちまわって案外動じないかもしれない。

男子、人の恨みをいちいち気にしては大事をなせまい。

勇気あるものは自分の首が切り捨てられることをいつも覚悟している。そういう人物でなければ大事を行うことはできない。

男は危機に立ってはじめて真価の分かるものだ。

人の人生には、命題があるべきものだ。

人間は何のために生きちょるか知っちょるか。事をなすためじゃ。ただし、事をなすにあたっては、人の真似をしちゃいかん。

人間に本来、上下はない。浮世の位階というのは、泰平の世の飾りものである。天下が乱れてくれば、ぺこぺこに剥げるものだ。事をなさんとすれば、智と勇と仁を蓄えねばならぬ。

人の一生というのは、たかが五十年そこそこである。いったん志を抱けば、この志にむかって事が進捗するような手段のみをとり、その目的の道中で死ぬべきだ。生死は、自然現象だから、これを計算に入れてはいけない。

日本人に死を軽んじる伝統があったというのではなく、人間の最も克服困難とされる死への恐怖を、それを押さえつけて自在にすることによって精神の緊張と美と真の自由を生み出そうとしたものだと思う。

金よりも大事なものに評判というものがある。世間で大仕事をなすのにこれほど大事なものはない。金なんぞは、評判のあるところに自然と集まってくるさ。

慎重は下僚の美徳、大胆は大将の美徳

わしには、天がついちょる。大事をなそうとする者にはみな天がついちょるもんじゃ。

人が事を成すには天の力を借りねばならぬ。天とは時勢じゃ。時運ともいうべきか。時勢、時運という馬に乗って事を進める時は、大事は一気呵成に成る。その天を洞察するのが、大事をなさんとする者の第一の心掛けじゃ。

乞食でも九十まで生きるし、十人の侍医に脈をとってもらっている王候でも、儚くなるときは、来る。さすれば、人間、生死などは考えるべきではない。寿命は天にある。人間はそれを預けっぱなしにして、仕事に熱中してゆくだけでいい。

いまは、培養するときだ。その時機を辛抱できぬのは男ではない。

漢(おとこ)は愛嬌こそ大事だと西郷はおもっている。鈴虫が草の露を慕うように万人がその愛嬌に慕い寄り、いつのまにか人を動かし世を動かし、大事をなすにいたる、と西郷はおもっている。もっとも、西郷の哲学では、愛嬌とは女の愛嬌ではない。無欲と至誠からにじみ出る分泌液だとおもっている。

信義のある紳士というものは、いかに親友に対してもさらさらした態度でおり、そのくせ実がふかい。手をとり肩をだいてことさらに親しみもあらわさねば、弱点でひきあってのめりこむような付き合いの仕方もしない。

いま、国を憂えて、生命をすてて奔走している者の九割までは、代々暖衣飽食してきた権門貴族の子ではない。武士とはいっても足軽同然の身分の者か、それとも町人百姓の出の者である。藤兵衛、志さえもてば、前身がなんであろうとかまわぬことだ。

高杉晋作は平素、同藩の同志に、「おれは父からそう教えられた、男子は決して困った、という言葉を吐くなと」と語っていた。どんな事でも周到に考え抜いたすえに行動し、困らぬようにしておく。それでもなおかつ窮地におちた場合でも、「こまった」とはいわない。困った、といったとたん、人間は智恵も分別も出ないようになってしまう。

人の世に、道は一つということはない。道は百も千も万もある。

女に古いも新しいもない。風呂に入ればいつでも真っ新じゃ。

物事に惚れるような体質でなければ世上万般のことは成りがたい。

財政の独立なくては、思想の独立もなく、行動の自由もない。

竜馬は、議論の勝ち負けということをさほど意に介していないたちであるようだった。むしろ議論に勝つということは相手から名誉を奪い、恨みを残し、実際面で逆効果になることがしばしばあることを、この現実主義者は知っている。

男子はすべからく酒間で独り醒めている必要がある。しかし同時に、大勢と一緒に酔態を呈しているべきだ。でなければ、この世で大事業は成せぬ。

仕事というものは、全部をやってはいけない。八分まででいい。八分までが困難の道である。あとの二分はだれでも出来る。その二分は人にやらせて完成の功を譲ってしまう。それでなければ大事業というものはできない。

世に絶望ということはない。

 

いかがでしたか?竜馬の他にも、日本を本気で変えようと幕末の舞台に躍り出た志士たちの生き様をありありと感じることが出来ます。

もし奮い起つような刺激が欲しいのであれば、下手な自己啓発本より断然「竜馬がゆく」がおすすめです。全8巻ですが、読む価値は存分にあります。

 

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