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【フリーランス仕事論】①大人は不自由なものだと思っていたが、大人は自由だった

めっちゃ個人的な話。

学生の頃は勝手に、大人は不自由な生き物だと思っていたが、実は自由だった。

小学生の頃クラスで将来の夢を書く時間の時、ほとんどの友達はそこに職業名を書いた。卒業アルバムの作文も将来の夢はみんな仕事名が多かった。

(俺の書いた夢は「綺麗な海で泳ぐこと」と「サバンナに野生動物を見に行くこと」だった。)

海外に住む機会があったり旅することは多かったものの、俺も一般的な社会のレールの上で長い時間生活してきて、仕事に関してはそういうフレームワークの常識が備わっている。

小中の大半は公立で、高校は進学校に進み、大学は慶應に通って、学生生活を送った。

そういう学校には、朝新聞配達して学校終わりに夜の街で働いて家族を養わなきゃいけないとか、どうしても路上で果物を売らなきゃいけないみたいな、そういう事情のある学生はほとんどいなかった。

みんな(俺含む)ある程度統一された常識がある社会の中の一員って感じで、高卒だろうが大卒だろうが、大半は会社に入ってサラリーマンになるという想像が第一に来る。

ただ、なぜかそこにある違和感は消えなかった。

「今の」自分にはその働き方はフィットしないと思った。

そして、学生卒業後は旅に出つつ、フリーランサーとしての道を選んだ。

俺の爺ちゃんは絵を描くことで腕一本で家も建てて家族も食わせてた人なんだけど、俺が小さい頃よく一緒に絵を描いて、爺ちゃんの絵のうまさに圧倒されて、そういう生き方カッケェみたいな思考回路が育まれたのかもしれない。

今の仕事のスタイルは、徐々にだけど自分にとってしっくりくるものになってきている。(もちろん、スキルなど色々な面においてまだまだ未熟ではある。。)

フリーランサーとして、webやグラフィックを作ったり、文章を書いたり、最近は友人のつてで製品モデルやCMのバックダンサーをやらせてもらったり、いつどんな仕事が来るかわからないみたいな状況で楽しい。(→簡易ポートフォリオ

多分若かったら誰だってそうなんだけど、3年前の自分からは想像できない人生を今味わっている。

俺は今はもっと旅がしたくて、次の夏は南米に行って周るし、その次はアフリカに行く。

日本国内でも、好きな時に好きな場所に住める生活はいい。石垣も東京も最高。

自分にとってベストな生き方を探りながら、その時信じられるものを生きていく。

「生き方」みたいな枠組の中にある「仕事」という要素を考えた時、地球上の多種多様な人間社会には、選択肢は無限にある。

フリーランスという働き方は、リスクを自分で背負わないといけない分だけ、自由だ。

どれだけ働くかも、いつどれだけ稼ぐかも、自分の動き次第では、決められる。

だけど、だからこそ、常に決めなきゃいけない責任がつきまとう。

その責任を果たし実行しなくては何も動かない。

楽な現実だけではない。

 

でも生きるってそういうことやん、と思う。

 

自分でどう生きるか決めて、自分の人生を生きてる実感を得て、時折心に幸せのポヨン感じて生きていきたいやん。

 

先人の培ってきたテクノロジーのおかげで個人の持てる力が昔に比べてかなりアップしてるから、今の時代フリーランサーとして生きていきやすくなっている。

好きになれる仕事で食って生きたくて、自分の行動に責任を持って大人の自由を謳歌できるようになりたい人は、これからの時代特にフリーランスっていう働き方は選択肢としてアリだと俺は思う。

いつの時代だって抑圧されたい民なんていないわけだし、本能レベルで自由になりたくない人間なんていないんだから、この働き方がしっくりくる人は実は多いと思う。

 

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