1984年から現在まで連載が続いていたエッセイ
「すべての男は消耗品である。」
が、遂に終わってしまいました。
村上龍の大ファンである僕は作品だけでなく彼がメディアで新しい発言をしていないか、コンテンツを出していないかをいつもチェックしています。
それで先日「すべての男は消耗品である。」の最終巻が発売されたと知りました。
最終巻!?!!?!まじ!!?と、ショックを受けつつ、
そりゃそうか~とも思った次第です。
最終巻を読みました。
連載が終わる理由はずっと担当だった編集者が引退するから。
でも僕はそれだけじゃないなと思いました。
「言いたいことがなくなったのではないか?」と感じたからです。
もっと言うと、「言いたいことを言うエネルギーがなくなった」。
これが正直な感想です。
村上龍は70歳近いし、終了するには良いタイミングだったのかもしれません。 平成も終わるし。
20代~40代の作品のエネルギーは、それはもうすごいです。
今はそれがない、ということを強調したいのではありません。
『その時にしか書けない作品』というものがあります。
村上龍が描く小説というのは、(彼が生きている現実の)世界と作品が不可分なものであり、フィクションでもただのフィクションではありません。
当然、小説の登場人物も高齢化しています。
彼が老いたことは作品にも反映されています。
もちろんそれでいい。いや、それこそが村上龍らしい。
彼がいま10代・20代人物で構成される若者向けの小説を書くとは思えない。
60代の作家が若者を描くのは困難であることを理解しているのだと思います。
「限りなく透明に近いブルー」からはじまり、作品とともに年を経てきたわけです。
僕は3年前に村上龍を知ったので、リアルタイムでの感動を味わいそれとともに人生が経過していくということがないので少し残念です。
彼はいまメルマガで「Missing」という小説を不定期連載しています。初めての私小説です。
初めての私小説で、最後の小説になるのではと僕は思っています(勝手な憶測)。
なにかの「終わり」に向かっている。
ジュースを飲んで缶が空になるようなもので、当たり前だ。
祝うものでも嘆くものでもなんでもない。
最近の村上龍の作品を読むとそんな気分になります。
すべての男は消耗品である。
恋愛では最後に女が男を選び、戦争になれば最初に男が前線に送り込まれる。
戦争に勝った男は女を手に入れることができる。
男は悲しいくらいに消耗品なのだ。
そんな男が自由に生きるための原動力。
それが偏愛だ。
偏愛がなければ自由になれない。女に、国家に、支配されてしまう。
…
村上龍は一貫してこのことを伝えていました。
今回のエッセイで、「偏愛を若者から感じない」と言っていました。
そうなのかもしれません。
僕は偏愛とは熱中する「時間」だと思います。
その時間を、インターネットという仮想現実が奪いまくってくるわけです。
一つのことに全部を注ぎ込むという行為ができなくなっている、と。
勉強しよう→その前にInstagramにポストしよう→19いいね付いた→さあ勉強しよう→30分経過。いいねどんだけ増えたかな・・・・・
インターネットは僕らが本当にやるべきこと(偏愛)を覆い隠してしまう。だから村上は上述のような主張をするのではないでしょうか。
たしかに僕の周りの同年代には「やりたいことが見つからない」という人がよくいます。
大体みんな満たされていて飽和状態だから、当たり前です。
偏愛の対象を見つけられず、日々に追われ疲れていても、仕事から帰れば家で酒を飲んでYouTubeを観たりして、それも結構楽しかったりします。
安全なところに住み、快楽に簡単にアクセスできる時代に生きています。
それよりも働いて生きていくことに必死。
そういう時代に「偏愛が重要だ」という主張は合いません。
どちらかと言えば彼のメッセージは「とにかく生き延びろ、サバイブしろ」という方に寄っていました。
飢えているとかコンプレックスを抱えているとか、そういう重要な亀裂がないと、偏愛って生まれないですよね。
もはや偏愛なんて無くてもいいんです。豊かな時代である証拠なんです。
なんだろうこのディストピア感。
村上龍とその作品は老いたと言いましたが、最高の作品を多数生み出したことには変わりないし、正直で等身大の生き方をずっと貫いている村上龍はやはり僕のスターです。
僕は村上龍と同じ時代を生きてラッキーです。
僕はこのブログでもリアルで会う人たちにもよく村上龍を紹介してきました。
年上の人たちは知っている人が多いけど、
同年代の人は「え?誰?村上春樹なら知ってるよ」程度の反応ばかりです。
若い人にこそ村上龍はおすすめです。
村上春樹好きなあなた。村上繋がりで、たまには違う村上を読んでみてはいかがでしょうか。
COMMENTS
私も先ほど読み終わりました。
タイトルに衝撃を受け読み始め、34年が経ったのか、と今風に言うと“すべての男は消耗品である。ロス” でしょうか。とても残念です。
MFさま、コメントありがとうございます。
「始めるのは簡単だが終わらせるのは困難」とよく言いますが、
34年続いた連載を辞めるという決断をした龍さんはきっと前進しようとしたのではないか、と思っています。
これってエッセイだったんですね。連載されてたんですね。それがこんなに長期間続いていて最近終わったんですね。知らなかったです。確かにカンブリア宮殿とか見てると小池栄子の隣でちょっと覇気のないお爺ちゃんが座ってる感が否めなくなって来ました。発言もどこか以前のような熱がないしありきたりのことしか言いません。ちょっと呆けて来ちゃったのかなとさえ思う時もあります。それに比べてもう1人の村上はラジオやったり未だに元気ですね。でも、インチキ祈祷師のような軽薄さがあってあまり最近は好きではなくなって来ました(笑)
コメントありがとうございます!若い時やんちゃしてた分落ち着いているのかもしれませんね。しかしこんな時代(コロナ)になって、龍さんは何を思うのか。今際の際まで現役でいてほしいですね。