SHARE

  • Facebook

2018.02.4

by

コラム

矛盾との闘争

いろんなことが矛盾している。

社会と自分との接点や、自分と自分との間に、矛盾が存在している。

 

自分で考える、という能力を身につけるまでは社会の常識が基本的に自分の中で正しいものとしてある。

「何が正しいかを疑うこと」を経験の中で知っていくまでは、何が正しくて何が違うのかということは自分の外部にあるものによって決められる。

まだ子どもの時は、無知同士の中で構築されたなんとなくの共通認識みたいなものに照らし合わされて、正しさが決まる。

一方、大人になり、正解というものはそれぞれの人の中にしかないんだということを知ると、常識やルールは共同幻想でしかないんだ、ということを知る。

そして人生の中で正しさには絶対の基準はないということを知り、人によってそれぞれの正解がその人の中にしかないことを知る。

 

2万年前とかに比べると、人類は組織内での情報の伝え方をレベルアップさせながらより情報が伝わるエリアを広げていき、本やテレビや新聞などのメディアによって人間社会は飛躍的に情報伝達が発達し、社会がより広い範囲で繋がるようになった。

より多くの人が同じ共同幻想を見るようになった。

インターネットが表れるまでの、発信やと受信者がくっきり分かれていた時代は発信者の作った情報が、常識やルールを作っていった。

良い悪いではなく、そういう時代だった。

そういう時代ではライフスタイルという人生の外骨格的な価値観に対する矛盾は生まれにくい。

ライフスタイルにおいて何が良しとされているかがハッキリしていて、その外部にある分かりやすい価値観を自分の中でも信じて生きていく人がほとんどだっただろうし、

そういう人生では、その価値基準に比べて自分が良い状態なのか悪い状態なのかということはあっても矛盾というのはおきにくかったはずだ。

だが、ネットやスマホなどの情報技術のさらなる躍進によって、誰でも受信者にも発信者にもなれるようになった今、統一の常識や価値観などの概念はどんどん減ってきた。

何が正しくて何が間違ってるかは、いろんな人が正しさを主張することによって、曖昧になった。

しかも変化の激しい時代だ、もう外に価値基準をおいては置けなくなった。

何が正しくて間違っているのかということをそれぞれが自分の中で決めなければいけなくなった。

 

自分で決められる自由を得た一方、自分で決めなければいけない義務を負ったという意味で、これは残酷なことでもある。

誰かに決めてもらった方が楽だからだ。

自分で決めなきゃいけないというのは楽なことじゃない。

社会も変化していくし、自分も変化していく。

常に変化しているということは常に正しさに対する決断も変化させなきゃいけない。つまり、決断し続けなきゃいけない。

その点だけで言えば、人生の中で誰かが作った変わらない正しさに基づいて歩んでいくという状態の方が楽なのだ。

 

経済成長の角度もなく、生存欲求も物欲も満たされきってしまった今の日本では、自己実現欲求を満たしていく必要性を感じる人間が増えた。

自分にとっての自己実現とは何か、という問いから始めなきゃいけないということだ。

その問いの答えは自分の中にしかない。

自分探しの旅だろうが、会社勤務だろうが、自分の外部環境と自分との相対化によって、自分というものを知っていく。

そうして出た答えはものすごく個人的(個性的)なものになる。

しかし、その答えの純度を保ちながら、その答えと自分の在り方や行動に矛盾を生まないことは難しい。

まだまだ、時代は変革期だ。

広い意味で言えば常に時代は変革期だけど、「今は変革期だ」ってわざわざ言いたくなるくらい、この時代は変化が激しい。

まだ、完全に個人による個人的な価値観が許される時代とはいえない。

もちろん完全にそんな時代になることが来るとも限らないし、そんなのが来るのはみんながVRで各々の理想的な仮想人生を送るとか、人間が脳みそだけになって物理的制約から解放されるとか、人間がピュアに自己実現のみを追い求めてそれ以外の部分の労働は全部AIやロボットに任せるみたいな、いつ来るかわからない未来の世界だけの話かもしれない。

歴史や伝統や文化を急にリセットできるわけはないし、前時代的な価値観は社会に蔓延している。

価値観が変わっていく時代というのは、そういう変わる前の時代との矛盾をより多く抱える時代なのだ。

 

そして、価値観というのは自分だけで決められるものではない。

人間関係やライフスタイルなどの中にある様々な価値観は他のものと密接に関係しているからだ。

自分だけが自分の価値観を決めるわけではないのだ。

だから、自分の中でさらなる矛盾が生まれる。

そういう意味で、「自分で価値基準を自分で決めなきゃいけないのに、その価値基準は自分だけで決められるものじゃない上に、そもそもの価値基準の決め方さえも人それぞれである」という状況は変革期が孕む大きな矛盾だと思う。

そして、矛盾というものはストレスだ。

 

ひと昔前みたいに良い会社に入って、良い車に乗って、結婚して、でかいマイホームを買うことが正しいみたいな価値観に従って生きていたら矛盾に悩まされることはなかっただろう。

だけど、もはやそういう価値基準の「見つけ方」は正しくないと思う。

だから、行動の中で矛盾を解きほぐしながら、決断していくしかない。

矛盾とスッキリのリズムを繰り返しながら、その時ベストなバランスを見つけて成長していくしか道は結局はないのだと思った。

 

 

考えたら負けなところはあるんだけど、人間なので考えてしまうね。

あとやっぱ、自然は良い。何が良いかってある意味”矛盾”みたいなものがない。

全てが摂理に沿ってて、無駄のない美しさ(=正しさ)を見出すことができるシステムだから、その純粋な空間に人は魅せられるんだろうな。

COMMENTS

RELATED

関連記事

RELATED

関連記事