2017.11.25
運が良い人と悪い人っている。
自分の人生の中でも、運の良い時と悪い時ってあると思う。
じゃぁ運ってなんだろうか?運が良い時と悪い時の違いってなんなのか?
言葉では説明できない流れだからこそ、運は運なのか。運ってのはコントロールできないものなのか。
でも明らかに運が良い人と悪い人っている。”持ってる奴”って言葉が使われることもある。
じゃぁ持ってる奴と持ってない奴の違いはなんなんだろう?
そんなことに関して最近「わりとこういうことなのかもしれない」って言葉で説明出来るようになってきた気がする。
「運は意志と情熱に基づいて取られた行動の選択肢についてくるもの」
運は意志のある行動について来ると思う。「動かない」とか「待つ」みたいな選択も行動だ。大事なのは、そこに自分の意志があるのか。多分意図的に生きていれば、いい流れに乗れる。
「運は大抵、人から齎(もたら)されるもの」
よっしゃラッキー!みたいなことって大抵自分以外の人も携わっていたからこそ起こり得たことだと思う。意志や愛を感じ取った人に人間は手を差し伸べたくなるんだと思う。相手は自分にとってラッキーを運んで来てくれる人かもしれないし、逆もまた然りで自分がラッキーを与えるかもしれない。
「運は現実からのフィードバックでもあり、自分の在り方の何が正しくて何が間違っているかを判別するのに役立つもの」
これだけ多種多様な価値観がある世界であるとはいえ、やはり同じ人間同士どこかで共通する感覚を持っているということを、海外を放浪して色んな人間を見た経験などをもとに感じる。
国や地域ごとに文化に違いあれど、「(人間としての)正しさ」みたいなことはある程度同じ地球に住む人間として共有している。
とはいえ、自分のことになるとなにが正しくてなにが間違っているのかを判断するのが難しい時がある。
そんな時、自分は今正しいのか?を判断する材料として、今自分は運が良いのかどうかという感覚を使えると思う。
正しい道を行くときは現実がまるで背中を押すように「それでいいんやで」と良い運を運んでくれる気がする。
逆に間違った道に進んでいく時は「そっちは違う」というように悪い流れを運んで来たりもする。
そんな時は立ち止まって現実からのフィードバックをもとに自分の選択は正しいのか、何かが間違っているのかを考える。
このような仮定が正しいとすれば、良い運に対する嗅覚を研ぎ澄まして、それが転がっていそうな方向に進んでいくことは、正しいといえる。
世界は、現実は、残酷でもないし、優しくもない。
自然の摂理のようなものに従って流れていくだけだ。
その流れの中で人間は感覚というセンサーに従って一喜一憂するだけだ。
現実は意志を持って正しい方向に歩む人間の背中を運によって押してくれる、と感じる。
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